埋没費用の偏見と意思決定

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起業後、410日目。

先日、少し相談に乗っていた大学の後輩が、
「起業しました」と言って報告しにきてくれた。

彼は、大学3年生で外資系コンサルとか大企業とか、
いわゆる「就職偏差値の高そうな企業?安定できそうな企業?」への就職に魅力を感じる一方で、

「いつかは自分で起業してみたい」という思いを持っていた。

当時、その彼に、アドバイスさせてもらったのは、「埋没費用の偏見に陥ってないか?」
ということ。

以下に、彼へ送ったメールの内容を共有する。
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■「埋没費用の偏見」とは(矢野の経験も踏まえて)

時間や金銭、その他の資源をかなり投資している場合に、
欠陥やリスクがある行動方針に対しても、コミットメントを増やす傾向のこと。

つまり、「損失を取り戻そうと、ますます深みに落ち込む」ような
意思決定プロセスのことです。
※社会心理学で言うとところの「認知的不協和理論」に、
近いかもしれない。というか、上記理論の一部分だろう。多分。

これは、起業家および新規事業オーナー以外でも、往々にして発生する。
聞けば、「あー、あるある」と納得して頂けるような例は以下。

例1:ホストクラブにどっぷりはまり、一人のホストに多額のお金とプレゼントを
を重ねた。周りの友人から、「あなたカモにされてるだけよ」と指摘を受けた
上に、ホスト当人の自分に対する愛を疑うような言動を目の当たりにしながら、
「こんなに尽くしたのに、○○があたしを大事にしてないわけがない」と、
愛の双方向性を信じ続ける。

例2:中・高と苦労して受験勉強を行い、やっと一流有名大学に進学した。
時代&自分の志向性が変わり、一流企業・大企業への就職がベストの選択では
ないと思われたが、「せっかく一流大学に入ったのだから」という理由で、
一流企業・大企業に就職。

このように、資源を大量投入した人間は、判断材料(データ)の網羅性があったとしても、一部の都合の良いデータのみに着目し、投資した自分を正当化するような解釈を行い、結果、謝った判断を行う。

誤った判断はさらなる誤った投資を呼び、
誤ったさらなる投資は、再度、埋没費用の偏見を招く。

実に恐ろしいスパイラルだが、誰にでも起こりえる。

通常以上に、起業家本人や新規事業オーナーは、
大量の事業資金・労力・時間・他人からの期待・協力という資源を、
大量にぶち込むので、この「埋没費用の偏見」が起きやすい。

「埋没費用の偏見」は、どこかでストップさせないと、
たちどころに事業も会社も人生も、軌道修正不可能なところまで行ってしまう。

こういった解釈・偏見はやめれば良いのだが、実に難しい。

理由はこれが、「人間だもの」的な特性だからだ。

別の先人は、人間のこのような特性を踏まえて、以下のように語っている。

「現実を直視せよ。・・・世界をありのままに見よ、
こうあってほしいという目で見てはならない」   -ジャック・ウェルチ-

自分は、自分の意思決定に「曇りがあるなー」という感覚があると感じたときに、
陥っている現象が、一般的な現象だということが認識でき、
冷静さを取り戻すことが幾度もある。

○○くんも色々な人間から色々なことをアドバイスされて、
訳分からなくなっていると思うけども、今一度、

・「埋没費用の偏見」に陥ってないか
・「こうあってほしい」ではなく、「自分の内なる声」「現実」「データ」をありのまま
に見ているか

確認してみた方が良いかもね。
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色んな政治・経済ニュースを見るにつけ、
会社・国レベルでも自戒すべき問いだと思う。

僕自身、常に問いかけている。

とか言って、

急にオヤジくさくなって、説教じみてきた自分に
戸惑っている今日この頃。

合原くん、がんばってねー!!

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