Weak tiesとTwitter

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起業後、840日目。今日は、Weak tiesとTwitterについて。

僕の好きな社会学者の一人に、マーク・グラノヴェッターという人がいる。「弱い紐帯の強み」”The strength of weak ties” という論文の一説を紹介したい。

危機的な状況においては、strong ties(よく会う、強い関係)よりも、weak ties(あまり会わない、弱い関係)の方が役に立つ。なぜなら、strong tiesの仲間は、危機に直面している本人と似た環境・情報を持っているのに対して、weak tiesの仲間は、異なる環境・情報を持っているからだ。

僕には、この”Weakties”の有り難みがよく分かる。中2の春に、危機的な状況を経験したことがあるから。

実家が、火事で全焼したときの話だ。僕の実家は、静岡県西部のとある商店街の中にあったのだが、8棟も全半焼する大火災に巻き込まれたことがある。

早朝に起きた火事だったので、僕はまだ寝ていた。2階で寝ていた僕を、母親が起こしにきた。「たかし(僕の名前)!火事だから起きなさい!」火事なんてものは、人生のうち、そうそう起こるものではない。僕はてっきり、母親が分かりやすい嘘で、朝に弱い僕を起こそうとしているのだと思った。だから、あろうことか、二度寝してしまった。こんなに「やってはいけないレベルの高い二度寝」を経験する人も少ないだろう。

目が覚めたときには、枕元のカーテンと右手の柱が、音を立てて燃えていた。文字通り、バチバチと音を立てて。とは言え、経験したことがない人には分かりにくいと思う。「本能寺の変における、織田信長」をイメージしてほしい。あんな感じだった。周りには、僕以外の人は誰もいなくて、火の粉が降り掛かってくる感じだった。

しかし、意外と僕は冷静だった。「ああ、コレは例のシチュエーションだ」と思ったのだ。「火事で一つだけ持ち出せるとすれば、それは何?あなたにとって、本当に大切なものは?」この問いに答える必要があった。

0,2秒で僕が出した答えは、スーパーファミコンだった。理由は、僕が持っているもので最も単価が高かった且つ 可処分時間の大半を費やしていたものだったからだ。決断した後の、行動も早かった。炎が、「目の前」に来ていたから。

すぐさま、隣の部屋に移動して、コントローラーとACアダプタをぶち抜いて、スーパーファミコンを抱えて部屋を出た。途中、無数のソフトが、視界に入った。「僕たちも救ってくれるよね」と語りかけてきた。しかし、家も傾きはじめていたので、断腸の思いで見捨て、階段を駆け下りた。煙をかいくぐり、家の外に出ると、人だかりができていた。そして、大きなどよめきが起こった。

「一人の少年の命が助かった」という種類のどよめきではない、「君が抱えてるもの、もしかして、スーパーファミコンの本体じゃないか?」というどよめきが混じっていた。

火事にあった翌日からは、学校に通い始めた。「同情でもされたら、嫌だな」と不安を抱えて登校したのだが、そんな単純な反応ではなかった。「焼け落ちる家から、スーファミの本体だけを抱えて出てきた矢野」の噂が、ものすごい早さで伝播し、伝説になっていたのだ。

学校から家に帰ると、当時、既に20才を越えていた長姉がよく泣いていた。1日や2日ではない。数日間に及んで、彼女の涙を見た。中2の僕と成人していた姉では、火事で失ったものが違いすぎる。無理からぬことだった。父や母の悲しみについては、推して知るべしだった。普段は明るい矢野家の食卓も、さすがに、どんよりと暗い感じだった。

そんな中、僕が、唯一気がかりだったのは、「スーパーファミコンの本体はあるけど、肝心のソフトがない」ということだった。しかし、悲嘆にくれる姉や両親を前に、「恐縮ながら、スーファミのソフトが欲しいのですが」なんて言えるはずがない。だから、空気を読んで、深い悲しみの空気に同調していた。

そんな折、僕の元に、あるものが届き始めるようになった。そう、スーファミのソフトだ。伝説が拡散し、それを聞いた心ある人達が僕に贈ってくれたのだ。ソフトの中には、表面や裏面に「家事見舞い」と書いてあったものもあったので、間違いない。いつのまにか、スーファミのソフトの数は、火事に遭う前に持っていたソフトの数を越えていた。

しかも、僕の家族や近所の人が贈ってくれた訳ではない。同じ境遇なのだから、それは無理だ。僕がほとんど会ったことのない人達(当時、高知県に住んでいた兄の友達とか、そのまた友達とか、果ては、全然知らない人達)が伝説を伝え聞いて、噂の少年にスーファミのソフトを贈ってくれたのだ。

当時の僕は、とてつもない感動を覚えた。単純に、ソフトが増えたからではない。普段会わないし、知らないけども、ゆるやかに繋がった人間の温かさを知ったのだった。

以上の経験から、僕には、Weak tiesの有り難みがよく分かる。

あれから18年経った今、こんなことを考えている。WEB上のソーシャルストリームは、このようなWeak tiesと情報と感情を、急速に拡大・伝播させる可能性を秘めている。

僕のイメージするWeak tiesは、mixiやFacebookよりも、Twitterに近い。よく会うわけではない、ゆるやかな絆で結ばれた、異なった環境や情報を持つ人達。こういう人達の方が、本当の危機に直面したときに、その人を救ってくれる可能性が高い。

だから、Twitterが流行ることについては、すごく好ましい流れだと思っているし、応援したい。具体的には、「温かいソーシャルストリームをつくる」ことに協力したい。

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