起業後、693日目。
今日は、Lee Johgsubくんとの共同生活について。
Haloのインターンシップを終えて、Johgsubくんが韓国へ帰国して3週間が経つ。
最初は赤の他人だったのに、今では、いつもしている時計を無くしたような気持ちだ。
彼との生活は実に楽しかった。何が楽しいって、違う国、違う文化、違う年齢の人間と意気投合する瞬間が楽しい。
一つ一つは、何気ないことだ。2人で「フルメタル・ジャケット」見て、「戦争は嫌だね」と言ってみたり、渋谷ですれ違った女の子に2人で目を奪われ、「実にかわいい」と笑いあったり、「”真夏のかじちゅ(果実)”は良い曲ですね」とJohgsubが言ったりなど。
「異質な点がちょっと怖いな」と思う人間の中に、「自分と同じもの」を見つけたとき、なんだか気持ちがほっこりする。こういうのは昔から好きだ。
高校時代には、既にその芽はあった。当時、僕はバイトで塾の講師をしていた。普段は、中学生に対して英語や数学を教えていたのだけど、ある日、小学生を受け持っている先生の都合が悪くなり、急遽、僕が小学5年生の国語の授業を担当することになった。
塾のオーナーが、「矢野くんの好きにして良いよ」と言ってくれたので、勝手に「世界の似たことわざ」というテーマの授業を展開した。
例えば、「覆水盆に帰らず」=”“It’s no use crying over spilt milk.”みたいなものをひたすらに列挙して、「スゲーだろ。世界はつながってんだ」とか「違うことも多いけども、根っこはあんまり変わんないんだよ」とか「時間や場所を気にせず自由に動き回り、学んでみると面白いよきっと」みたいなことを、小学生を相手に好き放題言っていた。
当時、大抵の子供達はきょとんとしていたので、長らく「あれは、僕の自己満の授業だったな」と思っていた。
しかし約10年後、当時小学生だったうちの1人が早稲田に合格して上京し、
彼とお茶したときに「矢野さん、あの授業まだ覚えてますよ」と言われて、かなりビックリした覚えがある。
彼は、世界史と国際政治に興味がある語ってくれた。僕の影響ではないと思うが、実にうれしかった。
Johgsubとの共同生活がいくらか続いた後に、大学を卒業してこれから社会人になろうとしている彼にも、何か真理めいたものをみ伝えたい欲求に駆られた。しかし、相手は軍役を終えた23才の立派な青年である。「何を伝えるべきか」真剣に考えた。
結局、彼に以下の3つのことを伝えた。
1:人は必ず死ぬ
2:死ぬまでの時間を他人の教義、規則、信条、ルール、信念、理論、主義のために費やすと、きっと晩年に後悔する。
3:自分か我慢がならないほど、やりたい仕事をやった方が良い。
日本語が通じているか心配だったので、紙にも同じことを書いて渡した。
韓国へ戻った後、彼は何を思い、何をしているのだろうか。そして、何をしていくのだろうか。10年後くらいに彼に会って、話を聞くのが楽しみだ。
こうやって色んな国の年の離れた人間と知り合って仲良くなり、その人と再会して、昔のことや今のこと、そしてこれからのことを話すのは、とても楽しかろうと思う。
年が近いとか、同郷だとか、会社が同じとか、業界が同じとかそういうのじゃなくて、「色々違うけども、真理や志の点では共感できる」というソーシャルグラフの構築にものすごくロマンを感じる。
僕自身が本当にやりたいことは、こういうことなんだと思う。