起業後、1011日目。
今日は、 「共感を呼ぶストーリーをつくる3つのポイント」について。
最近、ソーシャルメディアの台頭によって、「共感」について語られることが多くなった。
電通が提示した「ソーシャルメディア時代の新しい生活者消費行動モデル概念(SIPS)」は、Sympathize:共感する→Identify:確認する→Participate:参加する→Share&Spread:共有・拡散する、という順番だ。
とにかく、「共感」してもらえないと、何もはじまらない。
お金をたくさん使って、露出&誘導する広告を貼っても、インセンティブを設けても、記事化&Tweetしてもらっても、肝心のコンテンツに「共感」の要素がなければ、さみしい結果になる。逆に、コンテンツ自体に強烈な「共感」の要素があれば、そんなに予算をかけずとも、確認&参加&共有・拡散されていく。
実際のところ、多くのソーシャルメディアを活用したキャンペーンやブログの拡散などは、地味に、あらゆるところでスベっている。
「共感を得ることの難しさ」に多くの人がぶち当たっている。正確には、よりごまかしにくく、そして、可視化されやすくなっただけだが。
だから、広告・PRの世界では、「どうすれば、より多くの共感を得ることができるのか?」について、ソーシャルメディアマーケッターと言われる人達の支援を求めることがある。
しかし、この人達の多くが支援する領域は、既にあるコンテンツ自体の「共感」を増幅させるための導線設計に留まる。「共感を呼ぶコンテンツ作り」は、もっぱら、クライアント側によるものだ。
加えて、最近は「論理」ではなく「物語」によって、自社の商品や人物を訴えかけるべきだという話をよく聞くようになった。人間は感情の生き物であり、単純な物質的欲求は満たされてしまったから、「論理」ではなく「ストーリー」によって、人は動くと。
以上、「共感を呼ぶストーリーをつくる」技術が求められている。
僕はそのヒントを、映画やアニメやテレビドラマにおけるシナリオに求めるのが良いと思う。なかでも、「観客動員数1,000万人突破!」とか「視聴率30%以上!」などの大ヒット作のシナリオに。
なぜなら、大ヒットした映画やアニメやテレビドラマは、「共感」の宝庫だからだ。
まず、共感が得られなければ、僕たちは何時間も集中して、それらを観ることができない。次に、テレビドラマであれば数千万円単位、映画であれば数億円単位の制作予算を投下する、とてもギャンブル要素の強いビジネスだ。最後に、ソーシャルメディアとかブログとかよりも、歴史が長い。映画は100年以上、テレビも50年以上の歴史を持つ。
だから、長時間ユーザーを惹きつけ、ギャンブル性の高いビジネスにおいて、50〜100年もの歴史の中で大ヒットした作品の中に、「共感」の要素が満載なのはあたりまえだ。
映画やテレビドラマを0→1で生み出すのは、シナリオライターの仕事だ。もちろん、企画するプロデューサーや出演する俳優もカギを握っているが、「共感」を呼ぶ作品ができるか否かの根幹を握っているのは、シナリオライターだ。
僕は大学在学中に演劇の脚本を書き、シナリオスクールにも通ったことがある。そして、年間200本以上は、TSUTAYAのビデオを借りて観ていた。
以下、シナリオの基礎技術から学ぶ「共感を呼ぶストーリーをつくる3つのポイント」
1:共感を呼ぶ主人公を配置する
「強み」と「弱み」を兼ね備える主人公を置くこと。
観客、商品やサービスであればお客さん、ブログで言えば読者は、その中のストーリーを自分自身に置き換えて物語を味わう。「自分にとって、どんな意味があるのか?役に立つのか?」というようなことをチェックする。
その際、みんなが自分を投影するのは、ストーリーの中の「主人公」=「1人称」。だから、共感できる主役を描く必要がある。これができない限り、観客は客観的に物語を観ることになる。つまり、本当の意味では「参加」してない。
共感する主人公の条件は、「強み」と「弱み」を兼ね備えていること。
強みの要素は、多岐にわたる。
献身的、権力に立ち向かっている、善意に溢れている、行動力がある、やさしい、知恵がある、金持ち、運動神経が良い、人間性豊か、一芸に秀でている、家庭を大事にしている、明朗、自分に厳しい、容姿が美しい、かわいい、ユーモアがある、若い、有名、包容力がある、忍耐力がある、たくましい、など。
上記のような分かりやすい「強み」以外にも、悪徳のできる人、図々しい人、意地悪い人、毒のある人、要領が良い人、色気がある人、なんかにも憧れの要素はある。
とにかく、観客に「ああなったら良いなあ」と思えるような願望を起こすような「強み」がなければ、主人公を追いかける気すらおきない。
しかし、完璧すぎる人、聖人君子すぎる人、強すぎる人は、憧れの対象ではあっても、自分を投影して、同じ一人称でドラマや商品やブログを見てくれるようにはならない。
憧れとともに、主役に「弱み」がなければ。
例えば、ウルトラマンはムチャクチャ強い。基本的に、どんな怪獣が相手でも、倒すことができるぐらい強い。しかし、この強みだけを前面に押しだしていた場合、観客は「ああ、スゴいスゴい。どうせ勝つんでしょ」とウルトラマン(主役)を冷静 且つ 客観的に見て終わるだろう。しかし、ウルトラマンには「3分間しか戦えない」という「弱点」がある。この「弱点」によってはじめて、自分をウルトラマンに重ね、ハラハラドキドキしながら、応援したくなる。
他にも例えば、『ドラゴンボール』の悟空は、空腹に弱い。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティは、過去と未来、そして自分が何者か、語ることができない、という弱みを持つ。観客が自分と同一視し、ハラハラドキドキしながら応援してくれるような魅力的な主人公には、必ず、弱みがある。
「ああ、自分もああなりたいなあ」という強みで惹き付け、「なんだ、自分と同じじゃないか。分かるなあ」という弱みによって、自分と観客を同一視させる。
コレが、観客をストーリーに没入させる主人公の作り方だ。
2:対立を描く
外部との対立を通じて、内部の対立を描くこと。
強みと弱みを兼ね備えた主人公が登場しても、主人公の生活が平坦でなんの問題もなければ、観客は惹き付けられない。ドラマチックじゃないから。
ドラマの本質は、「対立」だ。
まず、主人公に外部との対立を起こす。人災、天災、病気、失業、戦争、受験、貧乏、邪魔者、ライバルなど、なんでも良い。できれば、「主人公の目的を阻む、宿命的なもの」が望ましい。
例えば、『ウルトラマン』であれば、地球の平和を乱す怪獣。『ドラゴンボール』であれば、同じくドラゴンボールを集めるレッドリボン軍・ピッコロなど。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』であれば、自分を惚れてしまう母親・スポーツ年鑑を手にしたビフ・デロリアンにガソリンがないという問題、など。
このような外部との対立だけでも、十分観客は惹きこまれる。しかし、本当に強い対立は、内部の対立だ。主人公の心の中で起こる対立、つまり、葛藤だ。
例えば『ガンダム(1st)』では、アムロは終始葛藤している。目に見える対立は、ジオン軍(外部)との対立だが、アムロの心の中の対立の方が激しい。そこに観客は惹き付けられる。
まず第1話で、民間人 且つ 年端も行かない少年なのに、成り行きでガンダムに乗ることになる。しょっぱなから、確固たる決意をもって、連邦軍に入隊したわけではない。
しかし第7話では、「命が危ないから、ホワイトベースから降りたい」と懇願する避難民に対して、「誰が、自分だけのために戦うもんか。皆さんがいると思えばこそ戦ってるんじゃないか。僕はもうやめますよ?」と、恐怖と苛立ちを覚えつつも、戦う意義を語っている。
ところが第9話では、自分を殴ったブライトに対して、「戦いが終わったらぐっすり眠れるっていう保証はあるんですか?」と問いつめる。つい先日、「命の保証」を求める避難民に苛立ちを見せたアムロが、自分の睡眠についての「保証」をブライトに求めている。終始、葛藤だらけだ。
このように、主人公ではどうにもならない厄介な対立を外に抱えつつ、それが引き金になって、内部の対立・葛藤を見せることによって、観客は強く惹きこまれる。具体的には、我が事のように物語を味わうことになる。
3:テーマを感じさせる
テーマを、論理ではなく、感情に訴えかけること。
強みと弱みを兼ね備えた主人公が、外部との対立を通じて、内部の対立を描いても、そこに作者の主義主張=テーマがなければ、人に感動を与えることはできない。ここまでできれば、「共感」は、「感動」に昇華する。
よくあるのが、テーマを主役のセリフや論理だけで説明してしまう誤り。
例えば、『プラトーン』では「戦争は良くない」とかいうセリフやメッセージは一切出てこない。それどころか、主役にすらほとんどセリフや独白もない。ひたすら、ベトナム戦争で起こったこと、その中での人間関係や主人公の感情を淡々と描写していく。
監督自身の実体験にもとづき、アメリカ軍による無抵抗の民間人虐殺、米兵たちの間で広がる麻薬汚染、仲間内での殺人など、リアルなベトナム戦争を描いている。
そしてラストも、アメリカに帰還するヘリコプターの中で、主人公が泣き、呆然として終わる。最後は、ヘリに差し込む光のせいで、主人公の表情すらも見えない。物悲しい音楽と共に。実に、余韻のあるラストだ。
この映画は、「描かないことによって、描く」という最高の技法を用いて、テーマを観客が勝手に「感じる」ことに成功している。少なくとも、僕は泣いた。
このように、発信主が直接的に主義主張を語ることに終始したり、事実と論理だけで納得&行動させるのではなく、暗に感情に訴えかけた方が、主義主張の浸透と共感は得られやすくなる。つまるところ、観客は作者の「考え方」に感動する。しかし、他人からそれを押しつけられたり、論理的に説得されるのは、嫌いだ。物語の主人公=自分という視点によって、自然に「感じる」方が100倍好きだ。
以上、共感を呼ぶストーリーをつくる3つのポイント。これらのポイントを自身の商品やサービス、ブログ記事なんかに意識して盛り込めば、共感が得られやすくなるだろう。
最後に、最も重要なこと。
それは、自分と社会への観察を徹底して行うことだ。観察ではなく、洞察が望ましい。洞察とは、物事を観察して、本質や、奥底にあるものを見抜くことだ。
つまるところ、自分の強みや弱みを知ることも、外に対立を見いだすことも、自身の葛藤を見つめることも、テーマを感じさせる表現も、鋭い洞察がなければ生まれない。そこには、「作家の目」「作者の目」というモノが根底にある。
シビアなことを言うと、共感を呼ぶ商品やサービスが作れない人、文章が書けない人は、「うまく表現できない」という技術的・表面的な問題よりも、「自分と社会が分かっていない」という根本的な内面の問題の方が大きい。
これらの洞察を深めるための近道はない。ひたすらに、社会を見つめ、自分を見つめることによって、「本当の問題は何か?」を問い続けると共に、分からないながらも解決のために行動していくしかない。
たしかに、自分や社会を理解するために、映画やアニメやテレビドラマを観たり、本をたくさん読むことは有効だ。しかし、そもそもの漠然とした疑問や問題意識が自分の中になければ、自分や社会を的確に表現している描写・言葉に出会っても、ピンとこないで終わるだろう。
しかし、文字通り、不幸中の幸いなことに、今は急激な外部環境の変化によって、我々の周りには、新しい厄介な問題が山ほどある。少子高齢化、国家財政の危機、グローバル化、エネルギー問題、働く目的の喪失 など
大きなテーマを伝え、より多くの人の共感を呼びたいということであれば、どれだけフォロワーを集めるかとか、どれだけLikeを集めるか、タイトルをどうつけるのか、といった小手先の問題は脇に置いた方が良い。何より、もっと自分と社会を見つめることに意識を集中し、もっと大きな問題、さらに言えば、社会問題にあたった方が良い。
英語で、ビジョンがある人のことを”man of vision”と言う。
そして、洞察力のある人のことも”man of vision”と言う。
シェイクスピア、夏目漱石、ビリー・ワイルダー、ジュゼッペ・トルナトーレ、手塚治虫および、山田太一さんや北川悦吏子さんなんかは、きっと、僕らに言うのじゃなかろうか。
“洞察もビジョンもないのに、共感もクソもねーだろ”