大学生の就活「本当にやりたいこと」

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起業後、839日目。今日は、大学生の就活に関して。

昨年11月から、隔週の日曜日に、大学3年生を対象とした「就活相談会」を行っている。ハロの事業とは別に、個人的な理念から。早いもので、6回目を終えた。

そこで、大学生に「何がやりたいのか?」質問している。するとみんな、「自分が、何をやりたいのか分からない」と困惑する。最近では、若干鬱が入ってきたようだ。とても辛そうなので、参考までに、僕自身の就活と気づきを書く。

大学時代、演劇の企画・脚本・演出をやっていた。作るプロセスが、衝撃的に面白かった。また、観劇後のアンケートに「作家性(独創性)もあるし、面白いよ君は」とよく書かれた。なので、「好きだし、才能もありそうだし、エンタメ業界で飯を食っていけたら、最高だ」と大学3年の頃には、進路を決めた。「シナリオライターになろう」と。

こう決めてから、シナリオの専門学校に通って、自作のシナリオを色んな作家の事務所に出しまくった。全然募集してないのに。全部で10作品くらい郵送したと思うが、全然採用には至らなかった。今思えば、「採用・雇用」という形態がほとんどないので、受け取っても困ったことだろう。

そうこうしてる内に、大学を卒業してしまい、「いやー、どうしようかな~、ヤバイな~」と思って困っていたところ、「テレビ番組のAD⇒構成作家・脚本家になる人が稀にいるらしい」という情報を掴み、某テレビ番組の制作会社に就職した。 わずかな望みを託して。

結果、ひくぐらい、労働環境が過酷だった。究極の徒弟制度&長時間労働で寝れない日が続いた。それ以上にひいたのは、「新番組の内容を考えよう」とみんなでアイディア出しの会議をしたときのことだ。ひたすら「どの番組をパクるか」という話に終始しているのにうんざりした。さらに、社長の鶴の一声で会議を終えたことには、もっとうんざりした。寝れないとか、作家になるまでに時間がかかるとか、では折れなかった心が、完全に折れた。

その時、とても重要なことに気がついた。そうか、僕がやりたいことの本質は、「エンターテイメントをつくること」にあるのではなくて、極論、分野はなんでも良いから「創造性」と「裁量権」を発揮することにあるのだな、と。

とは言え、「どこに行けば「創造性」と「裁量権」を発揮できるのか」分からなかったので、色んな分野の本を30冊ぐらい買い込んで、病的に読んだ。得た気付きは、以下。

・どの産業・会社にもライフサイクルが存在する
・ライフサイクルによって、組織の特徴・社員に求められる能力は代わる
・ライフサイクルが成長期⇒組織はフラット型 (権限委譲が組織に組み込まれている)
・ライフサイクルが成熟期⇒組織はピラミッド型(指揮命令系統が組織に組み込まれている)
・フラット型に求められる社員能力 :立案力、決断力、行動力
・ピラミッド型に求められる社員能力:正しい情報伝達力、言われたことを実現する調整力

なるほど。コレは、根性がある or ないの問題ではなく、合ってるor合ってない、の問題ではないか、と思った。そして、当時その会社にいた人達が合ってないのではなく、テレビ業界・会社のライフサイクル、つまり、大きな枠組み、歴史が自分に合ってないのだと思った。

要するに、テレビ業界&その会社は既に成熟期だったので、組織はピラミッド型であり、正しい情報伝達力と指示を実現する調整力が求められたのだ。歴史的 且つ 構造的に。そして、それが、「僕のやりたいこと」や「幸せ」と根元から合ってなかったのだ。

当時の担当ディレクターに上記の話をした覚えがある。「どう思いますか?」と。結果、「オマエは甘い」だの「石の上にも3年」だの「知識偏重」だのさんざん言われた。徒弟制度だったし、自分は他産業(会社)で働いた経験もなかったので、「なるほど、そうですよね~」と説得されてもおかしくなかった。

しかし、ディレクターがテレビ一直線で30才そこそこだったのに対し、本の内容は100年スパン且つかなりのサンプル(産業・会社・人)に基づいた分析だったので、本の方を支持し、退職を決めた。大学卒業後から、1年経たずして、退社。

その後、成長期のインターネット業界で、「創造性」と「裁量権」を発揮して、楽しく仕事した。今では、会社の社長として、「次は、どんなサービスで、どんなプレスリリースを打とうか」考えて、ワクワクしている。

ここまでの気づきを汎用性のある形でまとめると、以下の通り。

・大学時代に、「自分がやりたい仕事の本質」なんて、まず見えない
・考えても分からないことは、やれば分かる。
・やりたくないことの経験も、やりたいことを明確にする。
・心が折れる瞬間は、過酷な労働環境や賃金ではなく、やりがいが見えなくなったとき
・迷ったときは、近しい人間だけではなく、時間と空間を越えて相談せよ。
・本と必要な体験の順番は、体験が先。あくまで、体験に解釈を加えるのが本。

要するに、「仮説で良いから、さっさと行動した方が良い」ということだ。一定時間考えても答えが出ないとき、ほとんどの場合、結論を出すのに必要な情報が足りてないのだ。そして、最も必要な情報は、行動から得られる。

間違っても、「自分探し」の罠にハマらないこと。絶対の「真理」があって、それが見つからないと動けない、なんて思わないこと。死ぬまで、仮説検証の繰り返しだ。

唯一、真理に至る道があるとすれば、この仮説検証のサイクルを高速回転させること。それでも、仮説の精度が高まるだけで、真理に対しては漸近線のままだろう。

そんなに早く真理が分かってしまったら、宗教だって文学だって、こんなにたくさん生まれてないし、新しい理念を掲げる会社もこんなに次々生まれないはずだ。

最後に、もし、「20才そこそこでも、”自分にとっての幸せ”や”本当にやりたいこと”は分かるんだ」と主張する人がいたら、その人達は、「今の自分と昔の自分を混同してしまう」時系列のおかしな人か、「君達の不安や自信のなさを食い物にする」悪い人達である可能性が高いから、無視した方が良い。

仮説で良いから、さっさと行動しよう。
そこに希望が生まれるはずだ。

Hope is a Wish for Something to Come True by Action.

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