理想の先生

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起業後、985日目。

今日は、理想の先生について。

前回のエントリーでは、「労働の報酬は、自由と承認。自由と承認は葛藤する」という話をした。

自由と承認が葛藤し、「何をすれば認められるのか分からない」人生は、長くて暗いトンネルに似ている。長くて暗いトンネルにおいて、「こっちの方が出口かもしれない」と光を照らしてくれるのは、先生の存在かもしれない。

今回は、人生を照らすような理想の先生について、勝手に定義してみたい。
前回マズローとか引っ張りだしてちょっと疲れたので、エッセイ風にお届けする。

僕が考える理想の先生には、以下、3つの特徴がある。

1:人間的魅力に溢れており、魅力の大半が、学ぶ姿勢と対象によってできている。

2:生徒は先生に憧れるが、先生は生徒をほぼ気にしてない。片思いの関係が続く。

3:結果として、継続的に学ぶ意欲と姿勢を生徒は手に入れる。
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1:人間的魅力に溢れており、魅力の大半が、学ぶ姿勢と対象によってできている。

一にも二にも、理想の先生には、人間的魅力がなければならない。
先生は、憧れの存在でなければならない。でないと、手本にしたいとは思わないから。
憧れる理由にも色々あると思うが、にじみ出る人間的魅力に適うものはない。

例えば、学生時代の先生について考えてみてほしい。影響を受けた先生は、決して、板書がキレイとか、顔が美しいとか、生徒の偏差値を上げるのが上手いとか、そういう類いのものではなかったではないだろうか。言い表すのは難しいが、みんな人間的魅力をもっていただろう。

人間的魅力という観点で言えば、不完全な部分や他人と違うことで後ろ指を刺されるぐらいがちょうど良いと思う。不完全な部分こそ個性であり、他人と違うことは、自分に自信があったり、信念があったりしないと貫き通すことはできないからだ。間違っても、「よくある普通の人」であってはならない。そんな人に憧れる人間は少ないからだ。

とっかかりは、「面白い人だなあ」でも「変な人だなあ」でかまわない。やがて先生を知るほどに、その面白さや変さが実は、信念であったり、豊富な知識や「なぜ?」「だから?」「本当に?」を継続的に問い続ける真摯な知的態度に裏打ちされていることを知る。

その魅力に対する感想は、「好き」である。好きだから、もっと先生の言うことが聞きたくなる。好きな先生が、何に影響を受けて、こういう人になったのか知りたくなる。好きな先生の好きな科目も、好きになる。先生は、僕の知らない大事なことを知ってるんじゃないか、と思ってやまない。こういう化学反応の触媒になるような人間は、理想的な先生だ。

2:生徒は先生に憧れるが、先生は生徒をほぼ気にしてない。片思いの関係が続く。

「魅力的な先生を好きになる」という心境は、ほとんど恋愛に近い。たしか、内田樹さんだったと思うが、「教育の現場は、そもそもエロスに溢れているから、教育者はそういった特性について自覚的でなければならない」と言っていた。僕には分かる。自分の知らないことを知っていて、且つ、自分が好きな先生は、独り占めしたくなるだろう。

しかし、そこで本当の恋愛や交際に発展してはいけない。理想の先生は、自分を想う生徒のことなんかに興味はなく、己の知的欲求や真理とおぼしきものに対して、夢中でなければならない。そして、その真摯な姿勢の継続が、先生の人間的魅力を形成していなければならない。

「私は勝手に好きで楽しいことを続けるから、君たちもまあ勝手にしてくれたまえ。じゃ。」ぐらいのスタンスがちょうど良い。自分のことを想う生徒にハマったりなんかしたら、先生の魅力が失墜する。

生徒にとっては片思いが続き、苦しい状態が続くのだが、好きな先生に認められるためには、先生が好きな科目やテーマや学びの姿勢を吸収せざるを得ない、という構造が望ましい。そして、その欲求は長いこと満たされないままにあることが望ましい。

若干変態っぽいことを言っていることに自分でも気がついているのだが、コレがベストである。

3:結果として、継続的に学ぶ意欲と姿勢を生徒は手に入れる。

このようにして、魅力的な先生は、結果として、生徒に継続的に学ぶ意欲と姿勢を与える。この「結果として」というのが、かなりミソだ。

人間は、他人から「勉強した方が良い」とか「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」とか説教されると、途端に嫌になってしまう不思議な生き物だ。どちらかと言うと、「やってはいけない」とか「やっても意味がない」とか言われた方が、燃える。少なくとも、僕はそうだ。

その意味で、世間から「異端扱いされてるような変な人に片思いする」なんてことは、大きな背徳感をともなうから、燃えないわけがない。ここまでお膳立てされて、はじめて「結果的に」学ぶ意欲と姿勢を手に入れるのだ。

知識や知恵の類いはどんどん古くなって価値がなくなっていくから、本当に大切なのは知識や知恵そのものよりも、学ぶ意欲や姿勢の方である。先生の魅力を形成するのも、こっちである。そしてそれらは、強制されて身に付くようなものではない。

以上ここまで書いて、僕にとっての「理想の教師」をカミングアウトするのは非常に恥ずかしいのだが、半分はぐらかして、半分本気で答えると、「ABOUT YANO」の「好きな作家」の欄に書いてある。

そう、理想の先生とは、作家であり、本なのだ。

逆に、空間も時間も超えることができるのに、
なぜわざわざ、同時代&同空間に存在する人のみを指名して理想の先生とするのか、
僕にはまったく分からない。

以上、時間と空間を超えて、みなさんも理想の先生をめぐる旅を楽しんで頂きたい。
自由に旅を続ける限り、学ぶ意欲や姿勢はますます良い塩梅になっていくだろう。

なんてことは、言わない。

僕は勝手に続けるから、皆さんも勝手にすれば良いと思う。

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